1980 – 2016

南カリフォルニアのサーフシーンを背景に1980年誕生したアパレルブランドがその僅か10年後、ストリートカジュアルの概念を一変していようとは一体誰に想像できたであろうかーー世界各地のクリエイターと繋がった独自のネットワークを駆使し、アメリカンリアルクローズの新たな価値を創出してきたオリジネイターは、今なおストリートカルチャーの最前線を歩み続けている。2016年を以て、創設36周年を迎えたSTÜSSYの歴史をここに総括する。

THE EARLY DAYS
THE EARLY DAYS
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1970年代半ば以降に普及したショートボードの登場により、スタイルやテクニックの変革期を迎えたサーフシーンから、STÜSSYの歴史は始まる。カリフォルニア州オレンジ郡のラグナビーチは、伝統的に多くのアーティストが居住するアートの街として知られ、地元のサーファーの間では良質なサーフポイントとしても親しまれていた。サーフボードシェイパーのショーン・ステューシーが自らのキャリアをスタートしたのがここ、1970年代後半のラグナビーチだった。独創的なアイデアを凝らしたボード製作でカルトな支持を得ていたショーンは、本業のプロモーションも兼ねて、サーフボードに綴ったストックロゴやオリジナルのグラフィックをTシャツにプリントし発売する。それが1980年、STÜSSY名義のアパレルブランド誕生の瞬間である。  当初は、常連客や地元のサーファーにスクリーンプリントのTシャツを販売する程度だったSTÜSSYのアパレルラインも、徐々にスウェットやカットソー、総柄プリントのショートパンツやコットンシャツといった具合にバリエーションを拡張。1980年代初頭には広告用ヴィジュアルの制作も開始した。そうして、サーフカルチャー生まれのサーフブランドという枠組みに縛られず、STÜSSYが独自の路線を歩み始めたのは1980年代半ば以降、現代のサブカルチャーのプラットフォームが新たに構築されつつあった過渡期のこと。  音楽シーンでは1970年代後半から台頭したパンクが既存の文化や価値観を破壊し、バンド活動を通じて社会と対峙する手法を示してきたが、新感覚のD.I.Y.ミュージックとして1980年代初頭に登場したヒップホップは、むしろ社会的な境界を越えてリミックスやサンプリングといったアプローチを実践する。これらのアイデアがファッションをはじめ様々なクリエイティブに影響を及ぼした事は言う迄もない。STÜSSYも例外でなく、初期スクリーンプリントに見るルネサンス美術のサンプリング、スナップ写真に落書きやオリジナルフォントのスローガンを添える手法は、ヒップホップのテクニックに相通じるものがあった。  1980年代後半には、小規模ながらスケートボーダーのコミュニティでブレイクする等、都市部のクリエイティブなDJやミュージシャンたちにも注目され始めたSTÜSSYは、ニューヨークとカリフォルニアに小さなショールームを開設。これを機に本格的なアパレルブランドへと転身する。その結果、アンダーグラウンドのあらゆるサブカルチャーを通して培ってきたショーンの感性が世界各地のクリエイターと共鳴し、国際的なネットワークの礎が築かれていった。
THE STÜSSYTRIBE - A BRAND GROWS, ORGANICALLY
THE STÜSSYTRIBE - A BRAND GROWS, ORGANICALLY
ブランド生誕10周年を目前に控えた1989年、待望のフラッグシップストアが東京・自由が丘にオープン。翌年にはニューヨークにもチャプトを出店したSTÜSSYはこれ以降、世界進出の拠点として各都市のチャプトが機能する独自のシステムを構築した。  更に、1990年にはもう一つのトピックス、STÜSSYを媒介に繋がり始めたニューヨーク、ロンドン、東京、ロサンゼルスなど世界各地のクリエイターやミュージシャンを一堂に会し「STÜSSY WORLD TRIBE」が開催される。東京・芝浦ゴールドにてストリートカルチャーのオリジネイターが”INTERNATIONAL STÜSSY TRIBE”という一体感を共有した国際交流の場は、その後も伝説のイベントとして長く語り継がれた。  1990年代を迎え、世界戦略の拠点をニューヨーク及び東京に獲得し、世界的なインフルエンサーのネットワークを構築したSTÜSSYは、その後まもなく飛躍的な発展を遂げる。ローカルなサーフブランドをワールドワイドなレーベルへと昇華したのは、まさにINTERNATIONAL STÜSSY TRIBEの功績と言えるだろう。人と人との有機的な繋がりがブランドの成長を促す、STÜSSYならではのメソッドがこうして完成した。
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IT WAS ANTI-FASHION THING
IT WAS ANTI-FASHION THING
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それはアンチファッションな行為だった――創業メンバーのジェームス・レボンはSTÜSSYの創成期をそう述懐する。「STÜSSY設立以前は、まずパリコレに象徴されるモードなファッションブランドがあり、それとは別次元でワークウェアやスポーツウェアが存在した。ショーンはそれらの要素を結合し、全く新しいジャンルを創出したんだ。それはまるでパンクのような反体制的な行為だった。おまけに、今ではどこにでもあるプリントTシャツの概念を生み出したのも彼じゃないかな。とにかく、STÜSSYは何にも似ていなかったし、彼のモノづくりが計算されていたとも思えない。ショーンはただクルーをカッコよく見せる為のアイテムを作っただけなんだ。今や素晴らしい事にヘビメタファンから普通のオジサンまで幅広い層に着られているけど。それはきっとSTÜSSYがいつも良質でシンプルだからだと思う」  STÜSSYの確立したブランディングは1990年代初頭、小規模なアパレルブランドによる家内制工業の流行を巻き起こす。当時を知るクリエイターの一人、ドン・バスウェイラーはいつもショーンを「ムーブメントの父」と呼んだ。それは音楽業界にも見られる現象だが、ムーブメントを牽引する人々は概して、無意識のうちに何か新しく重要な物事を実践しているものだ。アンダーグラウンドカルチャーに根を張ってグラフィックを展開する大小様々なブランドには、まさにSTÜSSYの精神が深く刻み込まれている事だろう。
PAST PRESENT and FUTURE
PAST PRESENT and FUTURE
1990年代前半のSTÜSSYが試みた新たな商品開発の一つがリミテッドエディションである。STÜSSY NEW YORKにて限定発売されたCARHARTTカスタムシリーズはその象徴的な存在だが、何よりコラボレーションという概念をいち早く具現化した意義は大きい。実際、1997年に発表したG-SHOCKとのコラボレーション以降、STÜSSYは数々のリミテッドエディションを手掛ける事で市場の需要を掘り起こし、コラボモデルの潜在能力を証明してきたのだ。NIKEを筆頭にPORTERやTIMBERLANDなどスペシャリティブランドとの共同製作をはじめ、創業25周年のXXVコレクションや30周年のXXXコレクションでは、GORE-TEX®ほか多彩なパートナーとの共同企画を展開し、RETROSPECTIVEといったスペシャルエディションまで発表した。更にはグラフィティライターやフォトグラファーにフォーカスしたCUSTOMADEやWORLD TOURプロジェクト等々、コラボレーションの形態も年々進化している。  また、2000年代後半以降のコラボレーションで際立っているのは、東京発のアパレルブランドをパートナーに迎えたカプセルコレクションだろう。NEIGHBORHOOD共同製作のBONEYARDSがロサンゼルスの退廃的な世界観を見事に表現したように、お互いの持ち味をミックスアップしたコレクションは新たな地平を切り拓く最も合理的なアプローチだ。その他、2010年代に入ると、BAPE®、mastermind JAPAN、BEDWIN & THE HEARTBREAKERS、NEXUSVII.など、様々なブランドとカプセルコレクションを展開し、常に大きな成果を達成してきた実績が存在感の大きさを物語っている。  そして、ブランド生誕35周年を迎える2015年、STÜSSYは従来通りSTÜSSY LIVIN’ GENERAL STOREとSTÜSSY WOMENに加えて、STÜSSY CLASSICという新たなレーベルを発足。これまでに培ってきたベーシックなモノづくりへのこだわりを凝縮したハイスタンダードなコレクションが次世代への扉を開こうとしている。
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