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HISTORY 1980~2010
南カリフォルニアのサーフシーンで生まれたローカルブランドがその僅か10年後にはカジュアルウェアの概念を一変し、ストリートカルチャーの新時代を切り拓くとは一体誰に想像し得ただろう。世界のインフルエンサーを繋いだネットワークを基盤に有機的な成長を今なお続ける、真のオリジネイター。ここに創業30 周年を迎えた STUSSY の歴史を総括する。
アートの街として知られる南カリフォルニアのラグナビーチに地元のサーファーの間でカルトな人気を集めるサーフボードシェイパーがいた。ショーン・ステューシー。サーフィンをこよなく愛する男はより良いカタチを求めて、独創的なアイデアで常に斬新なサーフボードを製作していた。これが一部の熱狂的な支持を得た訳だが、それと並行してプロモーションのつもりでオリジナルのプリントTシャツやショートパンツも販売した。このとき自分の名字を筆記体で綴ったロゴがのちにブランドの象徴となるストックロゴの原型である。サーフカルチャーを背景にアパレルビジネスへ身を投じた1980年、ショーンは徐々にその潜在的なクリエイティビティを開花していく。現代のサブカルチャーのプラットフォームが構築されつつあった1980年代半ば以降、この新しい時代への移行期に STUSSY は飛躍的な成長を遂げる。音楽シーンでは1970年代後半からパンクの潮流が既成の文化や価値観を破壊し、バンド活動を通じて社会と対峙する方法を示してきたが、新感覚の D.I.Y.ミュージックとして1980年代初頭に登場したラップミュージックは、むしろ社会的な境界を越えてリミックスやサンプリングなど革新的なアイデアを披露した。これらのアイデアはファッションをはじめ、様々なクリエイティブに大きな影響を与えた。STUSSY の当時のグラフィックには1950年代の古き良きアメリカがあり、恐竜やラスタの肖像があり、購買層とは無縁の子供のモノクロ写真まであるが、その全てをオリジナルのスクリプトで締め括っていた。アンダーグラウンドのあらゆるサブカルチャーと触れ合う中で培われた感性は、サーフやスケートや音楽の関心を共有する世界各地のクリエイターを結び、やがて巨大なネットワークを構築する。1980年代後半にはサーファーやスケートボーダーの決して大きくはないコミュニティで STUSSY がブレイク。その後、ニューヨークとカリフォルニアに小さなショールームを開設したショーンは、いよいよ本格的なアパレル製作に着手し、信頼のおけるショップを対象に独自の販路を開拓した。
ブランドの名が知れ渡り、製品が国境を越え始めると、STUSSY は世界へ向けて独自のバイブを発信する機会を得た。ミュージシャン、スケーター、DJ、アーティストなど互いによく似た感性の持ち主にインスパイアされたアパレルが一転、ニューヨークやロンドンなど情報発信基地のトレンドセッターをムーブメントに乗り遅れまいと躍起にさせたりした。こうした緩やかな繋がりの中から、やがてニューヨーク、東京、ロンドン、ベルリン、ロサンゼルスにチャプトを開設する”International Stussy Tribe”が結実した。以来、ネットワークを通じて世界各地のクラブシーンやファッションピープルの間で話題を集めた STUSSY は、野火が燃え広がるように有機的な拡大路線を歩み出す。着心地の良い高品質なアパレルを適正な価格帯で提供し、ブランドの信任を得たショップでのみ販売することで消費者のニーズを刺激する……そんなブランドのパッケージが新たなメソッドを確立し、その後のあらゆる段階で成功を収めていく。
「それはアンチファッションな行為だった」——創業メンバーのジェイムス・レボンは STUSSY の創成期をそう述懐する。「STUSSY 以前は、まずパリコレに象徴されるモードなファッションブランドがあり、それとは別次元でワークウェアやスポーツウェアが存在した。ショーンはそれらの要素を結合して全く新しいジャンルを創出したんだ。それはまるでパンクのような反体制的な行為で、おまけに今ではどこにでもあるプリントTシャツを発明したのも彼だったと思う。とにかく STUSSYは何にも似てなかったし、彼の行動が計算されていたとも思えない。ショーンはただクルーをカッコよく見せる為のアイテムを創造しただけなんだ。素晴らしいことに現在ではヘビメタファンからオジサンまで幅広い人々に着られているけど。それはきっと STUSSY が良質でシンプルだからだろう」STUSSYのメソッドは小規模なアパレルブランドによる家内制工業の流行を巻き起こす。1990年代初頭のこと。当時を知るクリエイターの一人、ドン・バスウェイラーはいつもショーンを”ムーブメントの父”と称していた。それは音楽業界にも見られる現象だが、ムーブメントの渦中にいる人々は意に反して何か新しく重要な事を実践しているものだ。アンダーグラウンドカルチャーに根を張ってグラフィックを展開する大小様々なブランドにはまさに STUSSY の精神が深く刻み込まれていることだろう。
1990年代前半の STUSSY が試みた新たな商品開発がリミテッドエディションである。かつてニューヨークチャプト限定で発売された CARHARTT シリーズはその代表的な存在だが、それ以上にコラボレーションという概念をいち早く実体化した功績は大きい。1998年に発売された G-SHOCK との初回コラボレーション以降、STUSSY は常にエキサイティングなプロジェクトを展開することで長期間に渡って市場を牽引してきた。創業25周年を迎えた2005年の"XXV"コレクションではNIKE や GORE-TEX など豪華なコラボレーションを続々と展開、大いに市場の話題を独占したが、その翌年にも新旧の世代を超えたアーティスト総勢40人以上が往年のグラフィックを自己流にアレンジ、創作の過程を映像と文字で記録したWORLD TOUR プロジェクトを実施。それぞれの作品をスクリーンプリントTシャツとして販売すると共に国内外でエキシビジョンを巡回した後、最終的には作品集"BLACK BOOK"を出版するに至った。また近年のコラボレーションで一際異彩を放つのが、東京発 NEIGHBORHOOD と共同製作した2007年発表の"BONEYARDS"だろう。ウエストコースト特有のラギッドな美意識とディテールに凝ったワークウェアが融合したワードローブは、これまでのブランドイメージを覆す画期的なプロジェクトと言える。その後もレジェンダリー級のアーティストを迎えた FUTURA( 07春)や DELTA( 08春)のアパレルラインをはじめ、STUSSY GIRLS では"One World, One Crime"をテーマに Hellz A Crime For All Seasons( 09春)をフィーチャー、更には2007年秋スタートのハイカジュアル部門 STUSSY DELUXE でも英国の老舗シューメーカー Dr. Martens (09秋)とのコラボレーションを手掛けてきた。もちろんコラボレーションばかりが際立つようでは本末転倒だが、たしかにブランドにせよアーティストにせよ第三者がプロダクションに参加することで多くの場合、双方の特徴を受け継いだ優性遺伝のハイブリッドが生まれる。創業30周年を迎えた2010年に引き続き、今後より一層ボリュームと密度の増すスペシャルプロジェクトの行方から目が離せない。
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